1995(平成7)年4月の東札幌連絡線及び市営地下鉄平岸支線開業時に大通〜新千歳空港間の快速エアポート用に導入されたJR北海道唯一にして始めての交直流電車である。元々本州の電化区間から切り離されている札幌地区には交直流車の必要性は無く、平岸支線にも白石五輪駅にデッドセクションがあったものの定期の定鉄乗り入れ運用は存在せず、定鉄乗り入れは専ら気動車で済まされていた。だが1992(平成4)年6月に新千歳空港駅が開業した際に関西圏の新快速並のネットダイヤ運転による快速エアポートが小樽・札幌及び旭川と新千歳空港間を運転開始し、以前より真駒内始発の空港快速運転を希望していた南区住民及び定鉄側の希望はより強まる事となった。
元々東西線は建設当時から地下鉄へのアップグレードとJR(当時は国鉄)の列車乗り入れを念頭に置いた設計(東札幌〜菊水間で平岸支線と繋がるトンネルの存在、大通/バスセンター前/菊水間の待避線等)で作られていたが、車両面の問題で電化及び連絡線はトンネル・路盤のみ建設の状態であった。既に本州では交直流車が運用されていたが、485系1500番台の苦い経験(711系のサイリスタ位相制御を直流区間で電機子チョッパ制御に切り替えると言う事も可能であるが、僅かの編成に技術開発を行う余裕は無かった)を持つ国鉄北海道総局/JR北海道は東西線開業と同時の直通乗り入れはまだ需要が無いと言う事と車両面で難しいという事で見送っていた。
だが、1990年代になってドイツのツヴィッカウやカールスルーエにおいて、シーメンス製VVVFインバーター制御による交直流車が開発され、ようやく北海道で運用できる交直流車の可能性に道が開けてきていた。同時期に国内でもJR西日本が160km運転を目的にした681系を開発しており、どちらかのシステムを採用して721系の車体に乗せれば札幌市交側が望んでいた大通へのJR乗り入れにも道が拓ける。
そこで路線状況などを仔細に調査した結果、40‰近い勾配がある東札幌〜白石五輪間の連絡線を上るには1M方式のJR西日本側のシステムでは負担が大きいことから先に導入された721系1000番台との比較の意味合いも含めて当時東急車輛と川崎重工が開発中であったJR東日本のE501系のシステムを基本に開発する事となり、1M方式の1000番台に対して0番台と同じMM'構成を維持する事となった。基本的なシステム構成は721系0番台5次車のそれをE501系のそれに置き換えたようなものであるが、インバーター出力は130km/h運転を前提にE501系のそれより容量が大きいものに変更されて居るほか、当時は交流区間での回生ブレーキが試験段階であったことから回生ブレーキが作動するのは直流区間のみ、交流区間では発電ブレーキのみとして交流区間用の抵抗器がモハ431の屋根上には載せられている。(後にこれは721系1000番台及び731系のフィードバックから交流区間用の回生ブレーキ回路が増設され、抵抗器は撤去されている)インバーターは交直流対応の必要からE501系と同じシーメンス製SIBAS32であるが、定格速度の違いから出力はやや此方の方が上になっており、力行・減速時に独特の音階を奏でることから「メロディ電車」とも沿線の利用者からは呼ばれている。後にこのタイプのインバーターは交流回路を取り除いて京急の新1000型や2100型に用いられており、その独特の音は有名である。
車体設計は1993(平成5)年に導入された721系1000を基本としているが、冬季の降雪時に721系との識別を容易にするため785系に近いデザインの流線型貫通型となっており、先頭窓が着雪対策で小型化されたためかJR西日本の223系1000番台に似ていると言う意見もある。これは市電東西線東札幌〜大通間は線路閉塞管理を東急電鉄の影響でCS-ATCで行っており、それの機器を搭載している関係もある。
1995(平成7)年から1996(平成8)年にかけて3両編成6本がJR北海道に、同じく2000番台として3両編成3本が定山渓鉄道に配備され、快速「エアポート」として大通からJR編成が、真駒内から定鉄編成が出発し、白石五輪で併結の上新千歳空港まで運用されている。近年は721系の改造に合わせてパンタグラフのシングルアーム化、JR側編成のクハ431(小樽・大通側先頭車)のuシート化などの改造を受けながらも、限定運用で今後も札幌近辺の珍車として存在し続けるであろう。 |