1990年代に入りディーゼル車改修形の700系列車(700形、710形、720形)や、昭和30年代初めの就役で有った330形、210形は80年代初めの大幅改修からさらに10年以上が経過し、老朽化しつつあった。特に700系列車は台車を戦後間もなく登場した車両の廃車発生品を用いる等していたため、その性能の悪さは運転士サイドからも評判が悪く、収容力の大きさだけが売りの中途半端な存在になっていた。
80年代から低床連接車の導入を進めていた札幌市営としては、これら単行ワンマン車も低床化することを700系列車の下周りが限界に達しつつある80年代末頃から考え初めていた。だが、構造上65%低床車でのワンマン運転は料金収受の関係から無理であり(信用乗車制導入は無理と判断)、ワンマン運転が可能な小型100%低床連接車は駆動機系の取り回し等の面で困難であった。やむを得ず川崎重工製の通常形車両8500形に加えて330形が耐用限度に達した1990年代半ばからはアルナ工機にて製造した新造車体に載せ換えた3300形を導入する等していた。が、車体長さ等から冷房化も困難な3300形はA900・910形どころかカルダン駆動化・冷房化を終えたA820/830形にも劣ると非難される始末であり、小型低床連接車の必要性が叫ばれていた。
そんな中、1993(平成5)年に独MAN GHHが後にブレーメン形と称される左右独立車輪と車体装荷カルダンによる100%超低床車を実用化した。このMAN製連接車は最低2両から運用可能なコンパクトサイズであり、ワンマン運転を可能な構造である…と判断。1995年からADトランツ(MANより製造権を引き継ぐ)代理店となった新潟鉄工を介して導入の検討を始めた結果、極寒冷地札幌での導入実績は重要と考えたADトランツも同意。1997(平成9)年に熊本市電と同時導入と言う形で入線することが決まった。 同時にこの形式の導入はかつて札幌市電の前身である札幌電気軌道が1922(大正7)年の開業時、車両を英国イングリッシュ・エレクトリック社(通称ディッカー)から購入するはずが第一次大戦で流れてしまって以来の輸入車であるのは特筆するべき事であろう。
基本型車体をすんなり導入出来た熊本と違い、札幌市電用は今までADトランツが導入実績を持たない2,230mmと言う狭い車体限界であり、大型の屋上機器カバーをはじめとした寒冷地対策を含めて車体をほぼ新規に設計せねばならなかった。このため製造コストは熊本9700形の1.2倍とも言われる高価なものとなり、自治省の支援を受けながらも一編成辺り2億を超えるこの車両は最初の2編成導入時点でストップがかかる事となる。だが実際はADトランツがカナダのボンバルディア社に買収されたことによる情勢の変化や札幌市交通局の主力車両サプライヤーである東急車両や川崎重工の圧力も有る…と噂されているが真相は明らかではない。 その後はA820/830形を車体更新したA890形へ増備のメインが移り、ワンマン運転車両の超低床化は2010年(平成22年)導入の架線・バッテリー併用ハイブリッド車A1000形(川崎重工製SWIMO量産型)の登場まで進まない事となる。
1997(平成9)年に2編成が導入され、現在でも山鼻西線・桑園線を中心に運用されている。だが、 岡山や富山等に導入されたタイプのボンバルディア車とは部品に共通性が無かったり、車体幅とタイヤハウスの関係で車椅子の移動がしにくい、乗客数が3300形の7割程度しかない等の難点が指摘されるなど使いにくさが目立っているため、A1000形導入後は持てあまされがちである。
18,500mm(9,250mm+9,250mm)